***夕空***
今日もよく晴れている。
朝から抜けるような蒼空の下でおれはへばっていた。
いつものことだ。山の中だから都会よりはマシだとこいつは言うが、都会なんて知るはずもないおれにとってここの夏は最高に暑いことに違いなかった。おまけに全身毛だらけ。
「相変わらず暑苦しいなー。暑そーだね。暑いでしょ。暑いの?」
うるせーよ。暑い暑い連呼するな、この暇人め。
そんな風に目線だけ向けてやるとこいつは面白そうに溜め息ついておもむろにブラシを取り出した。
人間と言う生き物はよく判らない。
暑いのなら日陰でじっとしていれば良いものをわざわざ陽射しの下で動き回ろうとする。
利口なのか馬鹿なのか知らんがおれはごめんだ。
ブラッシングは嫌いじゃない。
ここ最近ハダニはおれにしつこくくっついて鬱陶しい中、割と気持ちいいものだ。
ダニ自身はあまり取れはしないけれど、毛玉や抜け毛が取れてスッキリする。毛並みもよくなる。
そういうわけで陽射しの中仕方なくこいつに付き合うことにした。
『家族』の一匹であるこいつはいつもまめに散歩に連れていってくれる。
阿呆そうなとぼけた顔をしているが、ちゃんと心得ているのか陽の高いうちに連れ出すことはしない。そんな事をされたら肉球が灼けてしまうからな。
「はい。おつかれさんー」
今日のブラッシングは終わったようだ。
やれやれ。夕方まで時間はある。それまでおれはいつも木陰で寝てることにしてる。
最近は幾分か涼しくなった。
暑い時は暑いが風の匂いががどこか真夏と違う。
くっきりとした濃厚そうな入道雲や高い空の日が減ってきて薄く伸びたぼやけた雲の方が多くなってきた。
秋が来たんだ、と思う。
「秋だねぇ。風が気持ちーね」
ここに生まれてきてよかった、とこいつは言った。
都会だとコンクリートばかりなので陽が落ちてきても空気がすぐに冷めないのだという。
おれと散歩をする時こいつはよく喋る。ほとんど一方的に喋る。
「見てよ、今日の空すっごくきれいだ」
そしてよく空を見上げる。
意味もなく。ただただ、焦がれるように。
おれには、そう見えた。
立ち止まったこいつはいつも泣きそうな顔をしているのを、おれだけが知っている。
繋がれてるから一緒に立ち止まるしかない。こいつが歩き出すまで、そこにいる。
今日の空は驚くほどにきれいな薄紅だった。優しい色。どこか哀しくなるほどに。
「なんでだろうね」
なにが? といった顔をおれが向けると、こいつは真直ぐにおれの目を見た。
「なんでこんなにきれいなんだろ」
ね、と言われたがどう返事をしたもんだか判らない。
なにが言いたかったのかは判らなかったけど一瞬こいつがここから遠くへ行ってしまった気がして何か、嫌だった。
いくぞ、と引っ張ってこいつと歩き出す。
あの表情はもう跡形もなく、いつものとぼけた阿呆そうな顔だ。
ゆっくりとしたペースで歩く。
明日もきっと同じように空を見上げるんだろう。
蜩、蟋蟀。虫の声が響く、音のある静寂。涼しい秋の風が毛を玩んだ。
fin...
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