**Stray Dragon**
 

「マザー。こいつ、飼ってもいいですか?」
 くりりとしたジェード・グリーンの眼球が、目の前できょとんと瞬きする。
 背に一対の白い翼と、瞳と同じ色の角を生やしたその生物を、突き出すようにに両手で持ち上げて少年は問った。
 マザーと呼ばれた初老の修道女は、すぐ目の前に突き出された生物に少し驚いたような見せながらも、その優しげな外見に相応しい穏やかな口調で問い返す。

「これは……飛竜の子供ですね。一体何処で拾ってきたのですか? ティア」

 咎めるでもなく怒るでもなく、ただ単に興味から訊いた彼女の質問に、ティアルークは腕を下げて仔竜を抱え込み、「森の奥」と素直に答えた。
 マザーの隣に控えていた若い修道女が少し眉をしかめ、うんざりした表情で溜め息を付く。

「……またですか。貴方はそうやって懲りもせずに生き物を拾ってくる。何度も駄目だと言っているでしょう? 元の場所に戻してきなさい」

「元の場所に、コイツのいる場所なんてないんだよ、シスター!」

 きっぱりと冷たく言い放ったシスターの言葉に、ティアルークの勝ち気なつり目がさらにつり上がった。
 確かに彼はいつも森などから生物を拾ってきてはこのシスターに怒られている。蛇や虫、ネズミなど嫌がるのは判らないでもないものから、犬や猫まで拾ってくるのだ。
 理由は単純な事だった。

「放っておけなかったんだ」

「可哀想だから、という気持ちは判ります。ですがそうしていつもいつも教会に連れてこられたらキリがないじゃないですか。引き取り手を探す私達の身にもなって下さい!」

 ティアルークが拾って帰ってきた生物は大抵森の中に再び捨てられる事になる。ただ、犬や猫を捨てるのはあまりにも無慈悲だと言う事で、シスターが引き取り手を探す苦労を毎度するハメになるのだ。
 いい加減もううんざりだという思いから、シスターの口調も自然ときついものとなるのも当然のように思えた。
 ティアルークはそれでも食い下がらなかった。緑柱石の瞳をマザーに向ける。

「マザー……」

 懇願するようにこちらを見る彼に対し、マザーは少し困ったような表情を見せ、静かに首を振った。

「……ティアルーク。私達にこの子の命の責任を取る事が出来ない以上、それは拾ってきた貴方が背負う事になります。貴方には、その覚悟がありますか?」

 それは、遠回しに拒否の意味が込められているように聞こえた。
 少なくとも、今のティアルークには。

「……っ!」

 飛竜の子供を抱えて少年は踵を返すと、森の中へ駆けていった。

+++


 森の奥に少し拓けた場所があった。小枝や葉などを集めて作られた窪地はまるで巨大な鳥の巣を思わせる。
 ここはティアルークが仔竜を見つけた竜の巣だった。
 本来なら、親が子育てをしている時期なのだろう。
 しかしこの巣の中には無数の羽や血などが無惨に散らばっているだけだった。
 竜狩り。本来は違法となっているはずのその行為をする者がいる。
 竜の血や角はありとあらゆる薬となるために、闇で高く取り引きされるからだ。
 ここの巣で暮らしていた飛竜達も、そうしたならず者に狩られてしまったのだろう。ティアルークがこの場所を見つけだした時には、既にこの状態だった。
 ただ、孵化しかけた卵の中から、まだ目の開いていない仔竜を見つけたのだ。

(俺と同じなんだ……こいつは)

 ティアルークは数年前に孤児となり、森の中のあの教会に引き取られた。
 教会は大きく、彼以外にも十数人の子供達が共に暮らしている。
 マザー=レヴェナを中心としてシスター達が大事に育ててくれ、そこで一緒に遊んだり勉強したりしているのだ。
 彼が生まれ育った村は、『呪(カース)』が蔓延し、聖教会による大粛清によって焼かれてしまった。
 『呪』とは邪なるものの根源。魔物を生み出す存在だ。あらゆるものに寄生し、わずかにでも放っておけばあっという間に広がってしまう。
 彼の村はもう手遅れだったという。
 だから、これ以上広がらないためには止むを得なかったらしい。奇跡的に助かったティアルークはそこでマザーに拾われ、今に至るのだ。

(マザーに拾われてなかったら俺は、どうなってたか判らなかった)

 最初は、何も判らなくて、何故村が焼かれたのか訳が判らなくて、村を焼いた聖教会を恨んだ時期があった。けれどマザーはそんな彼に何の言い訳もせずに黙って手を差し伸べ続けてくれた。  俯いた顔を上げるまでずっと――。

「くぅ?」

 仔竜は巣の中で立ち尽くしたままのティアルークを見上げる。あまりに無防備なその姿に、ティアルークはかつての自分を重ねて見ていたのだ。
 家族と居場所を失い、どうする事も出来なかった自分を。――だから、余計に放っておけなかった。

ガサガサッ……

 草木を掻き分ける音でティアルークはハッと顔を上げる。教会で身に付けた感覚が、ただならぬ気配を感じ取った。
 ――こちらに近付いてくる。

「魔物!?」

 「呪」に寄生され、変異を起こしてしまった動物なのだろう。姿を見せたその獣は酷く歪んでい、目は明らかに狂っていた。
 体長はティアルークの有に3倍以上、二足歩行をする狼のような外見を持つ巨大な魔物だ。
 魔物は、ティアルーク達の姿を認めると咆哮を上げ、その鋭い刃物を思わせる爪で襲い掛かってきた。

「くっ……!」

 とっさに仔竜を抱え、転がって避ける。わずかに擦った膝から赤い血がじわりと滲んだ。

(どうしよう)

 次の攻撃を仕掛けようと迫り来る魔物に、ティアルークは仔竜を庇いながら後ずさる。
 『呪』は特殊な訓練を受けた聖職者にしか消せない。彼にその力は、まだ無かった。
 そんな事に構うはずもなく魔物は容赦なく攻撃してくる。どうやら獲物を逃がす気はさらさら無いらしい。
 このままでは、確実にやられてしまう。
 逃げ切れる気がしない。せめて、仔竜だけでも逃がしてやりたいと、ティアルークは思った。

「バカだな、お前……何で逃げないんだよ」

「くぅ……」

 仔竜は怯えたような声で鳴く。
 攻撃を避けながら逃げていくうちに、彼は大樹を背に、追い詰められてしまった。傷がズキリと痛み、思わず膝をつく。
(――そうか、こいつ……何も知らないんだ)

 生まれたばかりの仔竜は、どうすべきか何も判らなかったのだ。
 結局自分は危機に陥った時、どうする事も出来ない。それが、歯痒かった。

「ごめんな……俺、何も出来なくて」

 命の責任。シスターやマザーが言ったように、それを背負うと言う事はとても大きく重いのだろう。
 その事に、今さら気付く。けれど――。
 ティアルークは膝をついた姿勢のまま、腰に差していた短刀を抜いた。
 いつも森で遊んでいる彼を心配して、マザーが持たせてくれたものだ。それを構える。

「でも、きっとお前だけは守ってみせるから」

 責任とか、その後どうするかなんて事は、その時考える余裕なんてなかった。
 考えるより先に、行動していた。

 理由なんて――。

 ただ単純に。守りたいという思いに、駆られるままに。

 それじゃあ、ダメなのか――?

「たぁぁっ!!」

 こんな子供の自分が適うはずがない。まして、倒すだなんて無謀だ。それは判りきっている。
 それでもティアルークは短刀を振った。

(あの時マザーがいなかったら、俺は何も出来ないままだった)

 もしかしたら、失ってしまった悲しみや憎しみに負けて、間違った道を歩んでいたのかも知れない。

(マザーが導いてくれたから、今の俺がいるんだ)

 だからこの仔竜にもそんな存在がいてほしかった。自分が、この仔竜にとって助けになれる存在になりたい、――なれるんじゃないかと、思ったのだ。

 キィン……!

 金属ぶつかる独特の音が響く。ティアルークの短刀が魔物の爪によって弾かれ、くるくると回転しながら飛んでいってしまった。

「……っ!」

 後がない。顔を上げた時、魔物がとどめを刺そうと爪を振り上げていた。


「――あ……」

 次の瞬間、魔物の爪は――降ってはこなかった。
 見慣れた黒衣がティアルークと魔物の間に割って入り、白い光を放っていたのだ。
 マザー=レヴェナが魔物の『呪』を浄化する光。

「……マザー」

+++


「――やれやれ、そういう事でしたか。あなたは本当に無茶をする子ですね」

 呆れたように、でもどこか嬉しそうな声でマザーは言った。数メートル先には『呪』を浄化され、普通の獣の姿に戻った元・魔物が倒れている。

「ごめんなさい、マザー」

 ティアルークは自分の思いを正直に話したのだ。マザーは「判っているのならそれでいいのですよ」と頷いた。
 そして身を屈めてティアルークの目線にあわせる。

「――それではあなたにもう一度問いましょう。ティアルーク。貴方は、その子の命の責任を背負う覚悟はありますか?」

 先程と全く同じ問いかけ。しかし今度のそれは拒否ではなく、試すような問いに聞こえた。
 深い色の瞳で見据えたマザーを、彼は真直ぐな瞳で見返し、答える。

「責任とか、そういう難しい事、俺にはまだよく判らない。けど、こいつには家族がいないんだ。最初から奪われて、何も知らなくて、俺と同じで……。だから守ってやりたい。何があっても、こいつを見捨てたりしたくないんだ!」

 口に出した言葉は稚拙なものだった。しかしこれが、彼の出した答えなのだ。
 するとマザーは視線を和らげ、にっこりと優しく笑った。ティアルークの腕の中にいる仔竜の頭を撫でる。

「……この子に名前を付けてあげなければなりませんね、ティア」

 そう言ってくすくすと笑いながら立ち上がったマザーに、ティアルークは目を見開き、ぱっと顔を上げた。

「じゃあ!」

「ええ、シスターや皆には私から言っておきます。  最後まで守り通しなさい」

「……はい!」

 満面の笑みを浮かべてティアルークは頷いた。その様子を察したのか、仔竜も嬉しそうな鳴き声を上げた。

+++


 守る事は、簡単な事ではないけれど――。
 それを貫き通したい。
 あの時、彼はそう思ったのだ。




fin





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