引き金を引いて、視線の先に赤い色を見て、初めてオレは考えた。
 何でオレは戦場にいるんだろう、と。




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+++life+++
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 まずい、迷った。
 オレは樹々が生い茂る密林を、気配を消しながら歩いている。
 迷彩の衣服を身に付け、片手には狙撃銃。顔にもペイントが施されている。
 そう、オレは兵士だ。戦争に駆り出され、多くの敵を殺してきた。
 こうして森の中で迷う前までは、ずっと当たり前のように戦っていたのだ。
 銃声や爆撃音が遠くで微かに聞こえたが、ここからではどっちの方角から聞こえるのか判らない。
 今たった一人のオレがいつ敵に囲まれ殺されてもおかしくはないのだ。
 仲間の軍隊を見つかるまでは、なんとか残らなくては。
 解く事のない緊張を補うように狙撃銃のグリップを握りしめる。オレの愛銃は"SVDドラグノフ"。狙撃銃としては珍しく着剣ラグをを装備してい、最大射程距離は1000メートル。スコープは薄暗い所でも照準が可能で赤外線探知装置もついている優れものだ。
 まあ、そんなことはどうでもいい。一刻も早く仲間を見付けなくては。

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 ぽっかりと穴が開いているように、その空間はあった。
 何事もなかったように太陽の光は降り注ぎ、樹々がほどよい木陰を作り出している。
 森の中には小鳥のさえずりさえ聞こえ、平和を強調しているようだ。さわさわと風が吹く音がする。そこに、一軒の家が建っていた。
 森で迷った先に家。ヘンゼルとグレーテルじゃあるまいし。まさかこれはお菓子の家で、人喰い魔女でも住んでいるんじゃないのだろうかと現実逃避してみる。
 確かここは敵戦地のはずだ。もしここの住人がオレを見つけ、敵兵だとばれたら殺されるかも知れない。
 しかしオレは今酷く喉が渇いていた。水筒の水も既になく、実はいつ倒れてもおかしくはない。
 仕方ないが住人を脅して水を拝借しようと銃を握り、一歩踏み出した。途端。

 グラリ、ドサ。

 一瞬の暗転。目が回り、オレは倒れてしまった。

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 ひんやりとした感触で、オレは目が覚めた。額に手を当てると、濡れたタオルが掛けられている。そうか、オレ。

「大丈夫ですか?」

 はっとして起き上がると額のタオルは落ちた。
 声の主の彼女はそれを拾い上げるとほっとした表情を浮かべている。オレが敵国の軍人だという事に気付いていないのだろうか?
 オレが寝ていたベッドのすぐ脇にSVDドラグノフが立て掛けてある。

「弾は抜いていませんよ。貴方は、この国の兵士さんじゃありませんね?」

 問い、というより確認だった。女性と呼ぶには若干まだ若い  少女はオレの心を読んだかのように無駄のない言葉を話している。

「……どう……して……」

 オレの掠れた声が発声されると同時に、水の入ったコップが差し出された。

「何も入ってませんよ。ただの井戸水です」

 喉が渇いていたオレはその冷たい水をぐいと飲み干し、一息ついて話す。

「確かに、オレはこの国と敵対している国の兵士だ。ここから少し遠い所で戦っていたんだが……迷った」

 潤った喉が心地よい。そして冷水で鮮明になったオレの頭はこれからどうするか考えを巡らせていた。

「オレも質問」

「はい」

「どうしてオレを助けたりしたんだ? 君たちの敵であるオレを。意識を失っていたオレの手から銃を奪い、頭を吹っ飛ばす事くらい出来たはずだ。でも、何故だ?」

 どうして、敵であるはずのオレを――?
 彼女はきょとんとした顔で、ごく当たり前の事のように答えた。

「目の前で人が死にそうになっているから助けるのは、いけない事ですか?」

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「私と父で、二人で暮らしていたんです」

 彼女はそう語り始めた。

「母は病気で、兄は前の戦争で亡くなってもういませんでした。父は古傷が原因で軍を辞めていたんですけど……。今回の戦争は、人員が不足していたので父は強制的に徴兵されたんです」

 だから彼女は今一人なのか。淡々と言葉を紡ぐ彼女の表情に暗い影が落ちている。

「父はまだあの戦場にいて、貴方の国の軍隊と戦っています。  でもきっと、顔の傷が疼いて、うまく戦えなくて……」

 顔の、傷――?


 

オレの記憶に残る、沢山の死んだ敵国兵たち。若かったり、年寄りだったりしたが、どの人も同じく暗い闇を宿した瞳をして死んでいた。
 ただ黙々と引き金を引いて、赤い花を宙に咲かせる。死にきれなかった者には、もう一発。その場の敵が一通り片付いた時、オレは死体達に近付いた。狙撃銃はストラップで肩に掛け、拳銃を握り、仲間と共に生死を完全に確認するためだ。
 彼らは、全て息を引き取っていたかのように思われた。しかし、オレの足元に転がっていた血塗れの男が、細く細くかろうじて呼吸をしている事に気付く。まだ生きているという事実に、氷を飲み込んだかようなひやりとした感覚を覚え、思わず動悸が早くなる。
 このまま放っておいても死ぬのは時間の問題だろう。しかしオレは考えるより先に引き金を引いていた。
 渇いた砂礫の地面に、ひときわ大きな赤い花が咲いた。
 その男の顔が未だにオレの脳裏に焼き付いている。百足を思わせる大きな傷跡が左の額から目を通り、頬へ垂直に残っていた。


「君の父親は……顔の左側に傷があるのか……?」

 少女は驚いたようにオレの顔を見て瞬きする。

「そうです。左側の額から、頬まで。だから父は左目が使えなくなってしまったんです」

 どうして、と彼女は訊いた。

「……その人は……君の、父親は……オレが……」

 オレが殺したんだ。

 彼女は一瞬、「何をいっているのか判らない」という顔をした。オレも、何故自分が告白をしたのか理解出来なかった。

「オレが、撃ち殺したんだ……っ」

 もう一度、力を込めて言い捨てた。
 彼女はどうして、とは訊かなかった。敵国の兵士が自国の兵を殺すのは必然だからだ。
 それでもオレは不意に思った事がある。ヒトが、同じ存在であるヒトと殺しあうのは、正しい事なのだろうか? と――。

「……」

 少女は黙って俯く。唇をきつく結び、辛そうな表情を見せた。

「オレが、憎いか?」

「……!」

 オレは起き上がってSVDドラグノフを手に取った。そしてそれを彼女に差し出す。
 彼女は大きな瞳をさらに大きく見開いてそれを見つめた。黒く艶やかな銃身は、金属の重みで確かな存在感を思わせ、ヒトを殺める事ができるモノだと確信させてくれる。
「その引き金を引けば、弾は出る。君の父親の仇が取れる」

 何を言っているんだ、オレは。自分を死に追いこんでどうする。いや、オレは死にたかったのかも知れない。
 「森で迷った」なんて自分で自分に嘘を言い聞かせながら辛い現実から逃げてきたオレは、死ぬ理由をつくりたかっただけなのかも知れない。
 狙撃銃は少女の手に渡った。小柄な少女とゴツイ銃。不釣り合いな組合わせが目の前に映る。
 少女の手は震えていたが、オレの頭に標準は合わさっているはずだ。その震える指先が、引き金を引いていく。
 オレは、目を閉じた。

+++


 ドウ……ン。

 響く銃声と、ガシャっと重い物が落ちた音でオレは目を開ける。
 ――死んでいない。
 オレのすぐ後ろの壁に穴が開いていて、少女は撃った反動のせいかか座り込んで泣いていた。そのすぐ傍には、SVDドラグノフ。
 外すような距離じゃない。わざと外したんだ。

「殺せません……!」

 押し殺すかのような泣き声で彼女は言う。

「私は……貴方を……殺す事が……出来ません……っ。貴方を、憎む事が出来ないんです……! 生きていてほしいんです!!」

 いきなり事実を突き付けられ、それをすぐに受け入れる事は容易な事ではないだろう。混乱して、憎めと言われてすぐにできるわけがない。今さらながらに気付く。  オレはこの少女に、オレ達兵士と同じ事をさせようとしていたのだ。
 ヒトが、ヒトを殺す。殺されたからまたヒトは殺しあう。そんな悪循環を、彼女に押し付けようとしていたのだ。

「――オレは……」

 オレは言う。

「オレは兵士だから、敵の数を一人でも多く殺す事が全てだと教えられてきた。それが当たり前だと思ってきた」

 でも不意に思う。

「ヒトが死ぬのを見て、初めて殺す事の意味、戦場に立つ意味を模索したんだ」

 どうしてオレは、戦場に居るんだろう、と。

「見つからなかった。正しい答えなんて何処にもなかったんだ。……でも一つだけ判った事がある」

 ただ無性に、むせ返るように泣きたくなるんだ。

「――生きたいんだ。生きててほしいんだよ。何でも、誰にでも。オレはそれをずっと見ないフリして、忘れていた事に気付いたんだ」

 死んでほしくない。殺したくない。だって生きている方がずっと素晴らしい事なんじゃないかって思うから。嬉しいという気持ちも、楽しいという気持ちも、怒り、苦しみ、痛み、悲しみを感じる事も、全てひっくるめて「生きている」という事なのだから。
 守りたいものがあった。仲間の憎まれ口。家族の笑顔。生きている、それらがとても愛おしいと思う。
 自分達の不都合を消して障害を無かった事にするのは、確かに確実で楽なのかもしれない。でも、それでも痛みを与えて得る益よりも、痛みを乗り越えて得る幸せの方が、数百万倍以上の価値があるんじゃないかって思う。

「こう言うと、オレは偽善者なんて言われるのかも知れないけれど、本当に心から願ったんだ。本当は殺したく無かった。生きてて……ほしかった」

 ごめん、とは言えなかった。失ってしまったものに比べて、それはあまりにも安っぽい言葉だと思ったからだ。だから彼女の小さな手を握る事が精一杯の謝罪だった。

「――生きたい、です。生きていて……ほしいです」

  少女は言う。紅くなった瞳に、強い意思が宿っていた。

+++


 いつかの、白鳥を思い出した。
 戦いに巻き込まれてしまったのか、純白だったはずの羽毛は血に染まり、力無く傷付いた翼を動かしていた。

 飛べないのか。

 オレは白鳥に近付き、抱きかかえて問う。血に染まった翼が、痛々しい。
 オレ自身もその時怪我をしていた。諦めてしまいたいくらい、辛かった。

 ……飛びたいか?

 俯いた白鳥はオレの顔を見上げた。澄んだ瞳は「生きたい」と、強く願っている気がした。

   そのひた向きな姿にオレも「生きたい」と願ったんだ。
 辛くても。いつの日か大空を飛んでみせた白鳥のように。




fin





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